YMCAとつか乳児保育園 平和月間のご報告
YMCAでは、8月を平和月間とし、平和について考える時を持っています。
今年は、保育園の職員に『あなたにとっての平和とは何か?』という問いかけをし、各々の答えをポストイット(ふせん)に記入してもらいました。内容に目を通すと、次の3つにグループ分けできることに気付きました。
①自分の努力次第で、得られる平和(自分の中で完結する平和)
≪挙がった答え≫
・穏やかな毎日
・よく眠れること
・好きな場所に行くことができること
・おいしいものが食べられること など
②人との関わりによって、得られる平和
≪挙がった答え≫
・家族がみんな健康で楽しく過ごせること
・子どもたちが笑顔でいられること
・大好きな人のそばにいられる など
③ ①②のどちらにも属さない平和
これは、更にふたつに分けることができました。
A:③の中で、心がけ次第でかなうかもしれない平和
≪挙がった答え≫
・笑顔いっぱい
・幸せ=平和
・争いがない
B:③の中で、社会の影響を受ける平和
≪挙がった答え≫
・戦争がない
・どこへ行っても安全で過ごせること
・明日が来ることを無条件に信じていられること
しかし、①②③と分類したものの、境界が曖昧なものが多いことに気付きました。
例えば、①の『おいしいものが食べられること』。はじめは、『自分の中で完結する平和』と考えていましたが、「おいしい」の裏側には、『誰かと一緒に食べるから、おいしい』という思いがあるかもしれません。そうだとすると、一見①に属しますが、②と重なる部分があります。
また、同じく①の『よく眠れること』。ぐっすり眠るためには、眠っている間に、危害を加えられる心配がないという安心感が不可欠です。だとすると、①だけでなく、②(同居の人を信頼できる)、③のB(急に爆弾が落ちてきたりしない)とも重なっていることになります。
そして③Bの『争いがない』についても、同様です。「争い」には小さな争い、家族内の喧嘩のほか、国と国の戦争も含まれるため、③のAとBの境目に属しています。
人が、完全に「ひとり」でいるのであれば、争いが起きることは、まずないでしょう。けれど、『あなたにとっての平和』の裏には、「他者」が存在しているケースが多いことがわかります。
「ひとりでいること」と「平和」には、微妙な隔たりがあることに気付きました。
普段、「平和」を当たり前の日常として受け止めがちな私たちですが、たった70年前までは、平和は「日常」ではありませんでした。この機会に、「平和」について考える時間を持てたことに感謝するとともに、一人一人が、「平和」を「平和」として感じさせてくれる「誰か」の存在を、再認識できると良いなと感じたひと時でした。
(乳児保育園 栄養士 金山千晴)