アンネの日記をご存じですか?
第二次世界大戦中ナチス・ドイツの大虐殺により亡くなったユダヤ人少女
アンネ・フランクが書いた日記を、父オットー・フランクが後に出版し世界的
ベストセラーとなりました。
では、アンネのバラはご存じですか?
ベルギーの園芸家ヒッポリテ・デフォルテは、旅行中にオットー・フランク
に出会い、アンネはバラが好きだったことを知りました。「アンネの日記」に
感銘をうけていたデフォルテは自ら作出したバラに「アンネ・フランクの思い出」
と名付けました。
では、どうして日本にアンネのバラがやってきたのでしょうか?
1971年日本とイスラエルの文化交流で、日本の合唱団がイスラエルを訪問しました。
合唱団の方は偶然イスラエルのレストランで、オットー・フランクに出会いました。
その後フランクとの交流が始まり、アンネのバラが日本へ送られることになったの
です。
日本では「アンネ・フランクの形見」と命名され、アンネのバラとして広まりました。
「戦争のない、平和な世界に」というアンネの願いが込められています。
乳児保育園では。何年か前にアンネのバラを譲り受け育ててきました。
今年はいくつか蕾をつけました。
保育園の子どもたちも、アンネのバラを見て「キレイだね!」
子どもたちの将来が、戦争のない平和な世界になりますように。
YMCAとつか乳児保育園 小坂 恵子